今年のAI関連トピックの台風の目ともいえるChatGPTについて、弊社のトライアルを通しての第一印象を紹介したい。

「あなたは何ができますか?」日本語による、ChatGPTへの問いに対する回答が次の文章である。

”私は言語処理タスクに特化した大型の人工知能モデルです。文章の生成、文章の要約、意味の抽出、質問応答、対話システムの作成などができます。また、文章の自動翻訳や、文章に対するカテゴリ分類なども可能です。特に、自然言語処理タスクに特化した大型の人工知能モデルとして、自然な文章を生成したり、質問に対して自然な回答を返すことができます。”

淀みなく1文字づつタイプされた回答テキストは、なるほどモデルの意図を説明しているが、一方で自身の能力を全く明らかにしていない。Youtubeにアップロードされている、”ChatGPTでやってみた”系動画で紹介される驚愕ともいえる機能はただの一つも含まれていないのである。

早速、これら動画を真似て、様々なプログラム言語に関する質問を英語で投げかけてみる。タスクとして次々に処理され、適宜結果が表示される。見当外れな回答は皆無である。例えば以下のような具合である。

python: 「csv形式でコピペしたデータが何に関するデータなのかの考察」「”pandas を使って”のリクエストに対するデータフレーム生成」「”カラム名を指定して”に対するサマリ出力とコード実装例」「”外部DBを指定して”の指定に対し、接続に要するモジュールやコード実装例の提示」
R:「”決定木”を指定してのコード生成」これは予測モデルを生成するための訓練データ分割など処理を含めた実装コード提示
SQL:「コピペで与えられたSQLの自然言語による解釈」「既存SQLのリファクタリング」「構文による実行速度に違いに関する理由の説明」

 続けて質問のジャンルを一転、アジア通販市場ついての俯瞰的な質問を続ける。「EC TOP10事業者のリストを見せて」の問いには、「最新ではないながらも」「〜の調査レポートによると」「該当データがない」と確度に応じたフレーズが前置きされる。さらに、コピペした箇条書きからの文章生成、この生成された文書をさらに別の言語に翻訳など、対話の進行に沿ったリクエストに対する処理も完全に違和感がない。むしろこちらが質問に使用した語彙が回答にも使われるといったスムーズな対話が実現していることに驚くほかない。

 最後に人物像の箇条書きを所与として文章作成をリクエストする。結果は「人物を知らない私には例文を提示できないので、代わりにポイントをアドバイスします。」という流暢な回答が返る。あたかも教育者か人格者のような、非の打ちどころのない真摯な内容である。素直に関心し、思わず「ありがとう!」と短いテキストを返すと、もし人間であれば、謙遜と優しさに溢れるような自然な励ましの口語フレーズでチャットが結ばれた。

 一連の対話を終えログアウトした後、自分自身の感情変化をいまいちど反芻する。「このモデルが不得手なことは何なのか」、「回答は果たして信頼できるのか」という理性による疑い。一方、無意識に「モデルがシンボルグラウンディングしていると感じられてしまうこと」や「信頼感が湧いてしまうこと」。そして「AIと共存するためにベストスキルが現在とは恐らく全く異なるであろうこと」。この世界の見え方が一晩の体験で引っくり返るような興奮と既視感が同時に全身を巡るような奇妙な感覚。それは学生時代にPCから電話回線を通じて初めてインターネットに接続した時の感覚と重なることに気づく。個人的には、ChatGPT前後で時代が区切られるほどのブレークスルーであることを信じて疑わない。”彼”の誕生が、数十年後、楽観的に振り返ることができるような存在として成長することを心より期待したい。近将来の”彼ら”の社会実装をどのように構想し実現していくのか、人間の役割はますます重要となってきている。